どっかの引き出し



2007年のあけおめコン。ちびっこの彼。あの時はまだ、私はあなたのことを知らずに生きていました。


元の始まりはエイト。ふと、幼い頃に見た番組で、彼らがきらきらと歌って踊っていたのがこの世界の入口だったのを覚えています。そこから転げ落ちるようにこの世界に飛び込み、流行っていたKATTUNや嵐、たくさんの人達の存在を知りました。


エイトさんを追いかけている時に、関西ジャニーズJrの存在を知りました。そこからジュニアに転げ落ち、今では華々しくデビューしたWEST。私の中では未だにB.B.Vが生きています。流れるようにたどり着いたジュニアの世界で、一際輝く彼を始めてみたのは、もう10年以上も前になるんですね。



サマーなら歌って踊けて

JohnnYs SUMMARY 2008

運命的な出会いでした。



正直、B.A.D目当てで行きました。好きでしたもの、関ジュが。くえすちょんやえびし、めいんのJUMPの中、グループ分けされておらずにただ目の前にたっていた彼。名前もわからずに顔が綺麗だと、思ったのを衝撃だと。


最初はB.A.D目当てで通い続けたサマリーに、気づけば彼の立ち位置を固定し、彼を眺めていた。


京本大我という、存在。


いるかわからないバックの存在に怯えながらも、ジャニーズJrという文字が出る度に公演に応募し、現地に駆けつけ彼を探す毎日でした。その間も関ジュは疎かにせず、ただただ毎日をオタクで過ごしていた日々でした。


今思えば死にものぐるいだったと思います。

いるかもわからないのに応募して、いた時の安堵。立ち位置の把握。出てくる曲、時間。全てを覚えて。


後から知ったのですが、大智目当てでいったドリボにも彼は出ていたんですね。大智と薫太しか見てませんでした。


時を経て、2009年のたっきーアンドラッキー。(名前だっせぇ)役名を貰った彼がいました。ああ、まだいる。まだ、彼がいるんだと。一か八かで応募したPLAYZONEにも、彼の姿があって。内ほったらかしで、そっちを探していました。


しかし、SUMMARYがなかった2009。彼に会えないと、彼がもう居なくなってしまうのではないかと怯えました。


いつ居なくなるか分からないJrの存在にただ脅え、いることを願って。


すばるくんといいつつも、どこか彼に期待して駆け込んだ2009年のドリボ。私の目には、彼は映りませんでした。(相方はこの時佐久間くんに叩き落とされてました)いたかも知れません。けど、どうしても探せなくて病んだのでわたしはこのどりぼの記憶をほぼ消しています。(ぱずるというツアーを回っていてB.B.Vと直接握手できたので帳消しにしてたはず)


けどその後に運動会でかれをみて安心しました。なにしてんの!?ってなったけど!夏が来る度に脅える私に2010SUMMARYで彼の姿を見て、安堵しました。ああ、まだいる。


まだ彼を応援できる、と。


馬鹿みたいに通いつめたドームシティ。今でも地図なしで歩けますかね?笑 あの時は必死でした。追いかけている私も、しがみつく彼も。お互いにお互い必死だったと思います。


ほぼどりぼとさまりーでかれの記憶は埋まってますね~~~単純!みんなクリエにきてくりえ?だっけ、あれ。なんだ。


相方に連れられてやってきた2011のどりぼ、そこで田中樹の認識(おそい)あぁ、兄弟ってこんなに素敵なんだなと感銘を受けた覚えがあります。


きたる2012。運命が大きく変わりました。



私立バカレア高校


発表された時大きく泣き崩れました。ああ、彼がテレビに移るんだと。彼のことをテレビでみれるんだと。(この際ドラマの内容は伏せる。)


Johnny's Dome Theatre SUMMARY


もう、正直デビューが決まったも同然だと思いました。このグループで、このメンバーで。やっていけると、バカレア組と呼ばれる彼たちに、光が刺したんだと。しかし、どこか。どこか不安が過りました。


2011ねんにあった、セクゾとキスマイのデビュー。


この子達は本当にデビューができるのかと。


ソワソワしても日の目を浴びることがないまま、Jr時代は続いて。銀座歌舞伎あなざーぱーてぃー。少しづつではあるが認知は着いてきて。(2014にてぃあーずうたったっけ?せくしー夏祭りで既にjrkymにわいていたな。Loving?)


実力で掴み取ったミュージカル。エリザベート


彼はまだ孤独だったんだと思います。ずっとずっとひとりで戦う彼にしんどくなって。けれど、絶対にここで辞めたら自分が後悔すると思い信じて追いかけてきました。(ゆんのことはテニミュで知りました。1st大好きです)いつしか、歌って踊るキラキラの彼ではなく、舞台の彼。


この事務所が平然とやってのける、舞台班に回すのではないかと脅えました。アイドルをしている彼が好きなのに、なぜ、とも。けれど応援できることに甘えて、しがみついて。


孤独に戦う彼をずっと見続けてきました。頑張れ、頑張れ。


きがつけば大人になった2015の銀座。

SixTONESの結成が発表されてまたもや号泣。やっと彼に居場所ができた。孤独にずっと、周りをライバルだと思い戦ってきた彼の居場所が。そこから怒涛の快進撃。ジュニアにも需要があると、気づいてくれた世間の皆様には非常に感謝です。(運動会とか野球大会またやって欲しいんだけどな)



2019.8.8


現場にいた私と相方はもう呆然とただ涙を流すだけでした。何が起こったのか分からない。けれど、彼たちがお辞儀をしている。喜んでいる。何が、起こったのか。


デビュー。


やっと日の目を浴びることができると、本当に本当にそれこそあの瞬間を思い出して相方と泣いてゲラゲラ笑ってまた泣いて。


もう忽然と居なくなることは、無い。





今日発売のananを読んで、何となく。なんとなくですが、私の中でやっと、孤独だった彼を見送ることが出来た気がします。


今回の、主演が無くなることは辛いです。けれど、このご時世きっとファンの皆様に何かがあったら後悔するのはきっと1番に彼なんです。中止ごときでへこたれてる場合じゃない。まだ次があるんだ。もう忽然といなくなって応援できなくなるんじゃないかって心配になる日はもうない。デビューという責任の重さと比例して安心が出来てしまうのは。


私自身のオタクの倫理観として、彼がいるからGが好きなんです。

彼がいるから、なんです。だから正直、Gのことはあまり気にしてません。彼だけを見ているので。好きなのは好きですが、1番に考えるのは彼のこと。


時々今の現状や、デビューしてからのプレッシャー、メディアのことを考えてJrの時の方が充実してたね、と相方と懐古することもあります。けど、デビューは自ら掴んだもの。


彼らがゆくべき道だと。


ananのインタビューの中に


10代の時は完全に夢の一択でした。当時の僕は、ひとりで戦っている意識が強すぎて、周りのみんなをライバル視してましたから」


この言葉に今までの彼の姿が走馬灯のようにかけめぐりました。一人で戦ってきていたのは思いすごしじゃないと。私も彼も必死だったんだと。


「今は仲間を意識するようになりました。その仲間がSixTONESってことになるんでしょうね」

SixTONESを守るのは絶対条件で、当たり前すぎることだから」


彼の言葉が私に刺さりました。当たり前のように彼から仲間という言葉が出てきて、尚且つそこにグループが思い浮かぶのだと。


「無理だと思っていたCDデビュー」


それを叶えたのは君自身の強さと才能だよ、と。無理を可能にしたのは君なんだよと、伝えたかった。



6人でいることを望んでいるとも、彼は言っていましたが、望んでいるファンもいれば、そうでなくて、


京本大我


という存在にしか惹かれていない人間もいるんだよ。だから、安心して進んでください。


可能な限り、私は応援させてもらいます。

いつまでも輝いている彼をそばから応援できるように。


今、私は頑張ります。







2019.04.11


私の中での関ジュ人生が終わりを告げました。ずっと追いかけてきた、日の目を浴びることなく終えたFunkyであり、かっこよかった、彼の姿。表にもう立つことはありません。振付師という姿になった彼は、輝いています。ステージの上ではなく、下で。


応援できる今を全力で。後悔してからは遅いんです。もう、うちわを持っとけばよかった、買っとけばよかった。会いに行っとけばよかった。そんな後悔は絶対にしたくない。



ここの事務所のことはよく知っている。残酷な時だってある。それがこの事務所のやり方。見守るしかできない私たちを許して欲しい。



お互いに必死に生きてきたきょもさくをずっとしてくれる相方。彼がいるからSTが好きなだけの私、STを彼が抜けるなら私も降りるよ。なんて当たり前のことを把握してくれているから、いつの時だってそばに居てくれた相方。


彼女の存在がなかったらきっといまごろわたしは、この界隈に身を置いていないだろう。




本日発売のananを読んで号泣した古参懐古御局様京本強火担でした。










追記



2020 06 01


また、一人。また一人。いつしか、辞めてしまった。おかしな話だと思います。もう私は友達を必死に慰めるしかありませんでした。


一人の、関ジュが決意を表明した日でした。


俺は役者になる。


ただ、いてくれている事にたくさん感謝していました。けどもう、

彼が踊っているところが見れない。

歌っているところが見れない。


そう涙する友人に私も必然と涙が溢れて仕方ありませんでした。どこかに覚えがあるんです。いや、私も通ってきた道でした。


今となってはSNSを積極的に発信する立場になった彼は、かつての私のアイドル。私の中でのアイドルで変わりはないのです。だからこそ。


歌って欲しい。

踊って欲しい。


そう願うことができても、もう二度と叶わないことだと。


口を揃えて言います。私たちはずっと。


「何故、もっと応援してあげられなかったの」

「もっとはやくに気づいてあげれていたら」

「もう見ることは出来ない」


呪縛のように私たちのように付きまとうこの言葉は時として槍のように降り掛かってくる。どうか、どうか。


どうか、彼たちを。


じゅんやがいなくなったら辞める、と言っていた彼はずっと残ってくれました。けれど、私たちと望む形ではない方向へ。


はまだと同期の彼。留学先に行ったと思えば様子がおかしい。突然落ちてきた槍に突き刺さったのは私たちでした。


後悔だけは絶対にしたくない。

これから先、本当に後悔だけは本当にしたくない。


推しは推せる時に推せ。


絶対的なポリシー。

彼たちに出来ることを今全力でするのが私たちの仕事。


だから笑っててください。泣いてください。頑張ってください。休んでください。

生きていて。


生きて、私たちの応援をうけてください。


それだけで。




ありがとう関ジュ。





なにわ、Aぇ、りとが全員、全員。輝くように。

Funkyな人達に。